歩兵の春

雑記

暮れなずむ町、点々と輝きだす窓の灯り。

1日の終わりと共に、明日を知る人々の長い夜が始まる。

ある人は希望を持ち、ある人は絶望に苛まれ、またある人は今を感じながら、それぞれの境遇を抱えて回る地面にしがみついている。

互いの胸中など理解できようはずもなく、それでも少しでも多くを共有せんとして組み上がったこの社会には、絶対的な原理など存在することはないのだろう。

より自分が、そして相手が楽しく、幸せになれるのであれば、その時過ちは正解へと姿を変え、逆もまた然りだ。

ところが人は全ての出来事に対し個々に良し悪しを考えることができるほど高い能力は持たない。そうなった時に頼ることになるのは何か。それが理性である。

どんな状況でも普遍的に成り立つ善悪の基準。そんなものは本来ないはずなのだが、多くの場合成り立つということであればその限りではない。基本的に人を殴るのは悪であるし、頭がいいのは善なのだ。

誰しもがこの理性を頼っており、行動の決定において大きな役割を果たしている。いちいち全ての行動に対して善悪を考えているようでは誰であれ思考が持たないので最低限守るべきルールブックとしての機能をもつ理性は必要不可欠な存在と言えよう。

しかし人間疲れてくるとこのルールブックに多くの項目を書き足してしまう。なるべく自分の考えることを減らすためにはそうせざるをえないのだ。

何も考えずに行動の良し悪し、人の好き嫌いを決めてしまえるのは、一見楽なようでもある。ただ己を縛り付けるロープを増やしてしまうと、新たな出会いも発見も減ってしまうということは、避けようのない事実である。

やはり人間、疲れた時ほど無理をするべきなのだ。それは自分の信じることを突き進むというわけではなく、あり得ない、突拍子もない、合理性のかけらもないと考えているようなことをやってみるのだ。

縛り付けられた人間がいくら考えたところで、本当に万人の理性に反する行動など取れやしない。合理性のかけらもないと思っていたことは、意外と悪くないものであることの方が多いだろう。

そうこうしているうちに今年も春がやってきたようだ。桜も2週間の命ながら満開の花を咲かせている。

そういえば人は気温が上がると行動が活発になるらしい。そろそろ本気、出しちゃいますか。

雑記

Posted by doffy