責任
初めて目に映るものが楽しくて、新しいことを試みては挫折し、成功すれば喜び、失敗すれば悲しむ。
そんな短絡的な考えをしていた幼き日々。
いつからだろうか、純粋な楽しさではなく、義務感で物事を見るようになったのは。
悩み、苦しみ、もがき、限界まで考え抜いた先にあったのは、変わらない現実。
他人に助けを求めてもどうにもならない世界がそこにはあったのだろう。
動けるのは自分しかいない。
そう感じた僕は自分に問題を求め、責任を求め、何がいけないのかを考え、挑み、そして挫け続けた。
得たものも大きかっただろう。
簡単には動じないメンタルと多くのスキルは何をするにも役に立つ。
しかしそれに伴う代償もまた大きかった。
気づけば僕は、自分以外の何かに責任を見ることができなくなっていた。
「他人に期待しない」「他人を信じるな」「己の力で道を切り開け」
間違った考えとも言い切れない。
確かに他人が都合よく全て自分のことを導いてくれるなんてはずがない。
だが僕は少々行き過ぎた。
「自分でどうにかしよう」という考えに支配され、他人の頼り方も、不安の消し方も、コミュニケーションの楽しさも、分からなくなってしまっている。
頭では理解できても、一度染み付いた感覚はそうなくならないものだ。
人と接する時にはやはり怖さがあるし、何かを期待することも称賛することも難しい。
自分を追い込むだけとわかっていながらも、どうしても1人で解決しようとしてしまう。
これはプライドだとか論理だとかの話ではない。気がついたらそうなっているだけである。
とはいっても、僕はそんな自分が大好きだ。
他人に頼ってもどうにもならない問題に1人で挑み続けて、そして疲れ果てた訳だから称賛してあげるべきだと思う。
でも悲しいかな、自分を追い込む方法はわかっても、労る方法は忘れてしまったみたいだ。
どうすれば自分は喜ぶのか。もはやそれはわからない。
義務感、使命感と、純粋な興味関心の区別がつけられなくなってしまっている。
僕はどこに責任を感じているのだろう。
今起こっている問題になのか、問題を解決できない自分になのか、苦しんでいる自分になのか…
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