【す】推定敗北【50音エッセイ】

50音エッセイ

こんにちは、どっふぃーです。

なかなか毎日を規則正しく生きるのは難しいもので、文章を書くモチベーションも度々無くなりがちですが、なんとか最後まで書き終えたいなというところ。

今回はテーマに沿った記事というよりは、僕の心中のメモみたいなものを書いてみようかと思います。タイトルについては後程。

さて、東京大学に入って1年が経ちますが、正直なところ結構しんどいことが多いです。

もちろんしんどいことばかりではなくて、むしろ楽しいことも沢山あるんですが、やっぱり根本には社会に馴染むって難しいなという感覚が現れて止みません。

そこで今回は少し暗い内容にはなるものの、この苦しさの言語化を図ってみようかと思います。全部ネガティブってわけではなくて希望を持って書いてはいますので、よければ最後までよんでいってください。

社会人になる?

大学生になって色んなことが変わっていますが、まず大きいのは社会人へと近づいている感覚ですね。

一人暮らしを始めたのも大きく、自立して生きていかないという事実が嫌でも降りかかってくる。炊事洗濯掃除など家事に加えて、補助があるとはいえバイトをしてお金を稼ぐということも必要、学校に行きながらサークルやプライベートもある程度は充実させたいというのですからね。結構な体力と精神力が求められます。

今のところなんとかなっているものの、これからずっと安定して自分を維持できる自信があるかというとそんなことはなかったり。

これでもまだ社会人への憧れでもあればいいんですが、そのようなものは全くなくむしろこの先の暗い社会で生きていかないといけないのかという不安の方が大きいところ。

まあ普段はあまり遠い将来は考えないようにしているんですけど、やっぱりふとした時に希望が持てないという同世代の方々も多いんじゃないかなと思います。

物価は上がっているし給料はそんなに高くないし求められているものはどんどん高くなっているように見えるし、国際関係はきな臭いし選挙はカオスだし…

要するに深く考えないor絶望するの二択を迫られている中で深く考えないという選択肢を選んでいるだけ、根本的にはどちらも先はないのです。

そういえば日高屋も値上げをしていたな。中華鍋振り回すの楽しいけど消費者としてはなんとも。

あと数年もすれば我々の世代も多くが就職をしだすと思います。社会人には社会を支える義務があるんでしょうか?もし全員がその義務から逃げ出そうとしたらどうなるんでしょうか?

僕には良くわかりません、わかるつもりもありません。勝手に不安になってるだけだろという意見もわかります。その時になれば結果嫌でも知るでしょう。

杞憂だといいな。

外れ値であること

皆さんは自分のことをどこにでもいる凡人だと思っているでしょうか?

多くの人はNoと答えるんじゃないかと僕は考えてるんですが、僕のいる環境はおそらく特殊な方なので実のところどうなのかはよく分かりません。

ともかく、僕は自分のことを全く普通の人だと思っていません。ずっと普通だと思いたかったんですが、やっぱり事あるごとに違いを感じてしまうんですね。

周りと比べて優ってるな劣ってるなという話ではなく、優劣不明みたいな事態が多く出てくるんです。

僕はこれを「思想の違い」と勝手に呼んでますが、皆さんの中にも感じた事がある人、いませんか?いてほしい。

僕は中学からプログ書いてるとこからもうって感じですけどあんまり周りと馴染んでうまくやっていくってタイプではないので、それなりの頻度で思想の違いを感じることがあって、その度どう対処するか悩まされております。

それでも高校までは周りの友達に恵まれていたのと、周囲の人と共有している時間が長いのもあってなんとかやっていけてました。ところが大学になるとこの違いが如実に出てきてうまく溶け込めなくなってきている次第です。

大体平均値ってのは1つしかないわけですから平均に近い人はいれども周囲と一致しているなと感じられることなどほとんどないはずで、さらには属する集団によっても平均は変わるため、あるところでは居心地が良くても他のところでは良くないということだって当たり前の話。それを深く考えてしまうところに僕の問題があるということでしょう。

偶然にも僕は興味の範囲が広かったので勉強とか音楽とか文章とかで自我を保つことが出来た(出来てしまった?)のですが、これからさらに多くの人と関わっていく中で問題が出てきそうだなって気がしており、うまく集団に溶け込む方法を見つけることを目下の課題としております。

「あんまり考えない」を意図的に行うのが何かしらのヒントになりそうな予感。

広がる僕

人は広がっていきます。最初は自分の手足すらまともに使えない状況から、立って動き回れるようになり、言語を覚え読み書きを行い、様々な人と関わり交友関係を広げていき、スポーツ・芸術・思想などのツールを手にいれ、どんどん自分の範囲は広大になっていく。

友達が悩んでいたら悲しいのです。好きな人が泣いていたら苦しいのです。この点においてもはや周囲の環境は自分の一部として捉えるべきでしょう。

このような言説は哲学においても幾度となく議論され、「他者論」は1つの大きなテーマとして今も残り続けています。

とはいえ僕は哲学の議論がしたいわけではなくって、最近気になっているのが「どんどん僕の個性だとか意見が無くなっちゃってるんじゃないかな」ということ。

お互い支え合って僕たちは生きています。しかし支え合っている人たちはそれぞれ違う。知らない国の知らない誰かとよりも、連絡をとっている友達やパートナーの方が支え合っている度合いは高くなる。

影響を与え合うことで、周りにいる人によって自分の姿は変わらざるを得ないのです。

そして今の悩みがまさにここにある。

僕は集団行動は苦手ですが他人への関心は強い方なので、よく「もし〇〇(人名)だったらどうするだろう」みたいなことを考えて自分の行動を決めることが多々あります。

〇〇に入るのは何人かいて比較検討はこちらで行うので、他人一人に依存しているといったわけではないものの、意見の借用であることには間違いありません。

言ってみれば勝手に選んだ何人かのハイブリッドのようなキャラになっているわけですね。

果たしてこれで僕の必要はあるんだろうかと、「好きな具を選んで自分だけのサンドウィッチを作ってね!」的な感じで人間を作ってしまっているわけですが果たしてどうなんでしょうか。

僕だって自分の確固たる信念に自信を持ちたいとは思っているのです。

しかし悲しいことに、いや、喜ばしいことに、僕の周りにいる人たちがあまりに素晴らしい。正直僕個人の考えを貫き通すよりも魅力的であると言わざるを得ません。

自分のままでは力不足だから周りのコピーをして不足分を補っている、そんな感じです。

なんだかズルしてるみたい。

僕が持っていたものは何なのか、どれが他人からくすねてきたものなのか、もはやよく分からなくなってきました。サイゼリヤのドリンクバーで全部のドリンクをごちゃ混ぜにしてしまった気分。元には戻らないけど飲みたかったものではきっとない。

推定敗北

お待たせしました。やっとタイトルの回収になります。

ここまで3つも鬱々とした内容の文章を書いてきてるんですけど、別に今の僕すごい調子いいし苦しんでもいないんですよね。

悩んでいた感覚は保存していて問題意識もまだあるものの、解決しないと死ぬような話でもないし、何より欠点も悩みもない人間とかいないのであんまり考えたって仕方ない。

じゃあなんでこんな記事を書いているのかって話なんですが、僕が最近思いついた「推定敗北」という概念を書きたかったからになります。

事の始まりは、「なんで周りの人見ると自分よりすごく見えるのかなー」という単純な疑問にありました。

冷静にいろんな要素を比較した時にそんなに自分が劣っていることって無かったんですよね。

でもイメージの上では劣っているように感じてしまう。これを説明する際に、「そもそも僕は優劣をつけるということに対して怖さを感じているんじゃないか」と考えればうまくいくんじゃないかと、そう思ったわけです。

結果上か下かはどうでもよくって、ある一定の基準によって人を評価する、その行為が怖いから、ブラックボックス化して考えないようにしたい。

けれども得体の知れないものと向き合うのも怖いから、一旦分からないものは凄く高く評価しておくことにする。

こういった過程が踏まれた上で、接していて明確にわかるいいところだけがイメージとして残って、残りはよく分からない→とりあえずなんか凄いんでしょ、知らんけど、という認識でセーブしているっぽいのです。

いい発見をしてしまった。

司法において「推定無罪(疑わしきは罰せず)」という原則がありますが、これになぞらえて僕は隣の芝が青く見える現象を「推定敗北(疑わしきは挑まず)」の原則と呼ぶことにしました。

つまりイメージの上での他人は実際の姿より遥かに盛られている、というかもはや都合のいいところだけ自分で勝手に取り出して残りは考えないことにした架空の人間像にすぎません。

本家は十分な証拠が出せなければ無罪という話なのに対して、こちらは十分な証拠を出したくないから有罪(自分が)という話をしており、その方が他人と関わっていく際に穏やかな気持ちで向き合えるようです。

しかし、架空の人たちに僕はお伺いを立てて意思決定をするわけですから滑稽というか何というか。お人形遊びみたいなものですね。

どうせお人形で遊ぶなら見目麗しく性格良く何でもできる人で遊んだほうが楽しいので、いい感じのお人形を周りから探してきていいとこ取りをしていく、実に自分勝手な行為といえましょう。さっき自我が消えるーとか騒いでいたのは誰なのか。

不思議なことに、この推定敗北という概念を導入したことで、僕は結構メンタルが安定するようになりました。あんまり自分の問題点について問題意識を持たなくなったのか、あるいは勝手に推定勝利に意識を変えて世の中の人間を見下しているのか、自分でも自分のことがよくわかっていないので真相は不明です。

さて、ダラダラとした駄文になりましたが今回はこの辺りで。また会いましょう、それでは。