4月、新東大生の皆さんと共に

雑記

東京で一人暮らしを始めて早くも1ヶ月が経った。

まだ蕾だった井の頭公園の桜も今や葉桜、慌ただしい毎日の中でも着実に過ぎゆく時の流れを否が応でも感じさせられる。

さて僕の方はというと、3月の末に初めてクラスの人と顔を合わせて以来ほとんど休みもない。

どの授業を履修するだとか、必修の授業つまらなすぎだとか、サークルなににするだとか、そんなことを言っていたらもう4月も終わりかけ、うちの時計だけ倍速で回ってるんじゃないかと密かに疑っているが、そんなはずもないんだろう。

大学とは何か

大学というのはとにかく人の多い場所である。

なんと一学年に人が3000人もいるのだ。

僕の通っていた高校は一学年200人そこらしかいなかったことを考えると15倍である。

これだけ人がいると、自分という存在がなんなのかわからなくなってくる。3000人の中の1人がいてもいなくても何も変わらないのではないか、そんな気がしてくるのだ。

しかし泣き言を言っている暇はない。というこも大学のクラスというのは高校までのそれとはまるで性質が違うものであるからだ。

一応第二外国語選択に応じて、ある程度の授業を同じクラスで受けるのだが、個々人で履修する授業に関しては全く違ったメンバーでの受講となるし、休み時間に共に語り合うなどということも高校に比べればはるかに少ない。

僕はこれを勝手に「緩やかな共同体」と呼んでいる。言語クラスだけ集まって一応クラスの体裁をとっているが、授業が終わればすっと別れる、友達というよりは知り合いの集まりといった感じだろうか。

そしてこれが何を意味するか、それは「自ら大学内での居場所を生み出さない限り大学は自分を受け入れてくれない」ということである。

何を、研究機関としての大学を考えれば至極当然なことなのであるが、ここにも厳しい現実が潜んでいる。

東京大学はあまりに授業が多い。

必修の授業だけで週に90分×11コマ(理系だと13コマだとか)、高校の50分授業で換算すると週大体22コマ相当であり、すでに1日4.5時間授業ぐらいは決定されているのだ。

ここから残されたたった1.5時間/日分程度の時間で自分の好きな講義を受講し、さらに授業が終わった後にサークルだとかバイトをし、そして授業の予習復習もしろというのである。一人暮らしをしながらこれはほとんど不可能に近い。

また、単位制度などという制度のせいで高校までのように授業中にサボり続けるということも難しい(と言いながらこの文章は授業中に書いているが)。

総じて大学とは自由な環境のようで、幅広い方面からの拘束を受けつつ、自分のやりたいことの追求ことを半ば強制され(それはやりたいことなのかという疑問はさておき)、居場所を作らないとすぐにドロップアウトする世界なのだ。

大学への希望

学生証がもらえる。

冗談でもなくこれが一番かもしれない。

学割が使えるし、大学生という身分は特に東京大学ともなればかなりの価値を持つ。

映画やカラオケに安くいけるのは素晴らしい、時間があるかはともかくだが。

大学図書館の存在も大きいと言える。

児童書をなくしながら下手な市民図書館より規模が大きいのだからおおよそ気になる本は全て手に入るし棚を眺めているだけでもかなり楽しめる。

古書や洋書の取り扱いも充実しており、学費の半分ぐらいはここで元がとれるのではなかろうか。単純計算して1週に2冊本を読めるなら年間100冊程度、専門書だと1冊2000円でも安い方なので、20万円分程度は少なくとも回収できそうである。昨日はニューヨークの地下鉄についての本を読んできたが、非常に面白かったし、書店でこの本と出会えることはまずなかっただろう。

総じて図書館は素晴らしい施設である。時間があるなら一日中いたい。

時間があるかはともかくだが。

そして大学の花形、サークル活動。

あまり僕としては雰囲気が好きではないが、それでも同じ趣味の人と集まれるのはいい機会である。謎の洋ロックを聴いて盛り上がったり、セネガルに行こうと計画をしていたり、なかなか個人ではできない経験が可能となっている。

のだがこれこそ本当に時間がない。

とにかく東大の一年生、時間がないのだ。

活動日の5限に必修の授業が入ろうものならその時点でサークル活動の半分は出られなくなるのである。

毎週出てくるくだらない課題(くだらないが面倒、英文を見開き12ページも毎週読ませてくるとか…)もこなす必要があり、サークルなどと騒いでる場合ではない。

とはいえ授業を受けて課題をやるだけではなんのために大学に来たのかという話になるので、こういった場合切られるのは授業の方なのだが…

まだたかが1ヶ月程度しか経っていないため全てをわかった気になるのは危ないが、授業も3週目に入りこの現状が大きく変わることはおそらくないだろう。

大学生活を楽しみたいのであれば、授業などを真面目に受けている場合ではない。そして授業は9割方面白くないのだ。

バイトについて

一人暮らしをするとなると東京はかなりお金がかかってしまう。

実家からの仕送りはあれどそれだけで賄うというのはかなり難しく、楽器や本を買ったり遊びに行ったりサークル活動をしたいなどとなるとバイトをする必要があるだろう。

東大生のバイトとして人気があるのはやはり塾講師とか家庭教師である。

頭に自信のある人たちの集まりだから当然といえば当然なのだが、僕はこうした仕事があまり好きではない、というよりは受験業界そのものが好きではないため、受験生再生産のプロセスに入り込みたいとはあまり思わない。

そうなると選択肢に上がるのは飲食や量販店の店員となり、最寄駅の近くにあったラーメン屋で働くこととした。

これが週3×3〜4時間程度となりそうなので、もともと大してなかった時間がさらに奪われていく。バイト自体は楽しみではあるが。

こうして得たお金を貯金に回すのは馬鹿らしいので趣味にでも使いたい。服を買いに行くとか音楽に使うだとか。

しかしこのままだとせいぜい夜に食べるアイスを買う程度のことに使われそうである、そうでもしないとやっていられない。忙しさを紛らわすために働いて得たお金を使う、デフレスパイラルである。こうした余裕がない人間にはならないように努力はしたいが、明日を生きることは何よりも大切なのだ。

目の輝きを保つために

まだ4月ではあるが大学の授業の中で自習して分かることを超えてくる授業はほとんどない。

教授たちの能力を馬鹿にしているのではなく、多人数に対する講義の限界がその程度なのだろう。教授は教育のプロフェッショナルではないからだ。

そのくせ単位制度であるがために課題をだしたがる、試験をやりたがる。そんなものに従っていると僕の成長が遅れるし、興味関心に向ける時間も減ってしまう。

社会経験と割り切って払うにはあまりにも高すぎるコストだし、大学に通ったって一銭も発生しないどころか学費を支払っているのである。馬鹿正直にカリキュラムに従っている場合ではないのは明らかだ。

僕はまだ世間知らずでいたいと思っている。つまらなくても耐えて努力をすることが美徳なんて考えは全く持っていない。対価としてお金がもらえるのならともかくだが。

少なくとも社会人として仕事をさせていただいているわけではない間は、好きなことを好きだといえる人間でありたい、人との関係を維持するため、単位を取るため、見栄を張るために好きなことが義務になってはいけないのだ。

社会の歯車になるために必死で努力するんだろうか。全体の利益のための自己犠牲はそんなに素晴らしいことだろうか。

僕は大学生ではない、大学に所属している1人の人間である。

幸せは自分で掴み取るものであり、大学から与えられたものから妥協して選び取るものではない。

僕の目が輝きを失った時、その日が僕の命日だろう。明日を耐えるために今日を犠牲にした時が。

雑記

Posted by doffy