【suggest】頼むから天才は努力しないでくれ
こんにちは、どっふぃーです。
9月も末となり、しぶとく残っていた暑さもやっと引いて秋らしい気候となってきましたね。
インターネットの時代といえども、やはり季節の変わり目などを感じ取る力は大事にしていきたいものです。
さて、今日お話ししたいことなんですが、「受験戦争」についてです。
最近僕はこれに苦しめられっぱなしなんですが、本当に絶望的なシステムなんですよ…
ということで受験がいかに良くないものなのかを書きなぐっていきます。
適性と義務教育
この世界にいる人は、全員違った個性をもっており、得意不得意があります。
なので、それぞれに合った分野で能力を遺憾なく発揮するのが、個人にとっても社会にとっても良い姿といえるでしょう。
しかし、いくら得意を伸ばすと言ったって、最低限の社会生活を送るのに必要な算数や語彙力や一般常識というのがあるので、それはやっておきましょうね、ということで義務教育が存在しています。
ということは本来は中学校までの過程をクリアすれば後は自分の得意な道を突き進めばいいはずなのです。
はずなのですが…
どうみても中卒、高卒、大卒の間にはそれぞれ社会的地位に超えられない壁があります。
義務教育は中学までといいながら、スポーツ選手やアーティストなど特殊な仕事につかないのなら高卒・大卒は事実上必須となることも多いわけですね。その人が学校の勉強が得意かにかかわらず。
まあ当然と言えば当然で、優秀な人間を手っ取り早く見つけるためにはとりあえず学力の高い人を選んでおけば外れが少ないというのは紛れもない事実です。
そしてそれを判断するのに最も簡単な方法が学歴になるのもまた当たり前でしょう。
要するに「人を学歴で判断する」というのは何らおかしい点はありません。
では何が問題か、それは「それなりの努力によって誰でも高校・大学にいけてしまう」ことなんです。
プレミアムが当たり前に
学歴の話をする前に、まずはスポーツ選手の話をしましょう。
例えば野球選手になるには、何が必要でしょうか?
当然並一通りでない努力は必要ですが、それだけではありません。
プロとして生きていくような選手は、考えられないような時間の練習は当たり前で、その上で野球が本当に好きで、才能もあるからこそ大成するわけです。
努力だけでプロになれるなら全国の野球部の人々はみんなプロになっているでしょう。
しかし学歴はちがいます。
圧倒的な才能なんてなくても、寝る以外のすべての時間を使うような覚悟がなくても、高校・大学には行けてしまいます。
高校に関しては支援金も出ますから経済力もそこまで要求されません。
実質ほぼすべての人が、すこし努力すれば通うことができるのです。
確かに所謂偏差値の高い学校に行きたいのならある程度の努力は必要かもしれませんが、それでもほんの一握りしかやっていけないスポーツ選手やアーティスト生活と比べれば、圧倒的に楽といえるでしょう。
これは裏を返せば、頭の良さが重視される多くの仕事において「学歴を持っていないだけで社会で不利になる」ことを意味します。
本来は義務教育を超えた学力を示すためのものであるはずの学歴が、誰でも手に入ることによって「最低限必要な能力」に成り下がっているのです。
偏差値で差をつけろ!
学歴は実質最低ラインという話をしましたが、では勉強が得意な人にとって自分の能力を示す方法とは何になるのでしょうか。
高校や大学に行くだけではみんな行けてしまうため、特に価値を持たないわけですが、その上で存在感を出したいとするとやはり「偏差値」になるでしょう。
東大とか京大とかいい学校にいけばそれで周りよりも優秀なことを示せますね。
ということで始まりました!「受験戦争」です。
よりいい学校にいって自分の価値をアピールするのです!
これが本当によくない。
社会全体がよりいい学校に入ろうと努力してしまうと、平均値が上がってみんなの時間がとられていくだけでそれぞれの相対的地位は変わりません。努力しなかった人がドロップアウトするだけです。
それの何が問題なんだ、ごく自然な競争だろう!と思う人もいると思いますがそうではありません。
例えば数学が得意な人の場合を考えましょう。
数学を使った仕事をしたいため当然勉強をしますが、世の中の人は数学の力を学歴で測ろうとするので、数学ばかりやっていては評価してもらえないのです。
国語も英語もできて初めていい学校にいけて、それによってより良い仕事に就けるのです。
物理が得意な人も、社会が得意な人も、みな同じように全科目やらないといけません。
これではせっかくの才能が無駄になってしまいます。苦手なところはほどほどにして得意なところをのばしたほうが結果的に本人を含む多くの人にとって利益があるはずなのに。
つまり本来「数学が得意だからいい学校に行ける」であるはずが、学歴を重視する社会が完成してしまいみんなが受験に参加するようになった結果、「数学が得意なうえに他の科目も努力したからいい学校に行ける」に変わってしまっているのです。
これは野球を極めれば野球選手になれる、という構造と根本的に違います。
得意でもない、おそらく大して必要にもならない、好きでもない、時間だけ取られる、けれども評価対象に入ってしまっているからやらざるを得ない。という形が出来上がってしまっている、とても悲しいことです。
天才は努力するな
さて、ここまできてやっとタイトルの回収です。
この無駄な受験競争をなくすにはどうしたらいいか。
賢い方々がみんな受験に力をいれずに自分の得意なことを伸ばしていってくれればいいのです。
せっかく少ない努力で高校や大学にいけるんだから、その余力を偏差値を上げることに使わないでほしい。
優秀な人間がみんな受験で争おうとするもんだから無駄な努力が必要なのであって、「僕は高校に行った上で数学をがんばりました」とか「大学に行った上で英語を使った交流をしています」とか合わせ技で戦うようになれば得意でも好きでもない分野をやる必要はなくなるでしょう。
本来レベルの高い教育が受けられる高校や大学に、多くの人が行けるというのはいいことなのだから、偏差値なんかで争わないで得意なことで戦っていくべきなのです。
ということで頭のいい優秀な才能に満ち溢れた方々、どうか受験に力をいれないでください、塾なんかにいって過去問の対策なんかしないでください、大人しく数学でも英語でもプログラミングでもスプラトゥーンでもやっていてください。あなたたちは寝てても賢いんだから弱いものをいじめないで。
お願いです。このままだと僕が受験でしんじゃいます…
異常自由奔放にブログを書いて、授業は寝て過ごすどっふぃーからの悲痛な叫びでした。
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